「違和感」を大切に/内に潜むものに自覚的になるすすめ

中学生の時、近所で有名な英語のスパルタ塾に通っていて、おかげで英語だけは通信簿の評価が良かった。まあでも色々怒られました、勿論英語についてもだけど、電話の受け答えから、アンダーラインの引き方まで。怒ると「キサマ」呼ばわりしてノートでひっぱたく。まあ怖かったのできちんと勉強はしました。

 

で、当時感じていたモヤモヤとした違和感、その正体が分かった。

 

ところで、「いいよ」という言葉一つとってもその内にある気分なり感情によって、この言葉を受け取った人を、攻撃することも癒すこともできますよね。私たちは実際の会話において字面通りにやり取りしているわけではなく、実はその内にあるものをやり取りしています。これはどんなに隠そうとしても漏れ出てしまうもので、「心で思っているだけ」なんてことは実はないと思っています。敏感な人なら、どんなに表面を繕っても裏腹な心情を感じ取ってしまうでしょう。

 

で、話は戻りますが、あの塾の先生は、残念だけど生徒に対する愛からあのスパルタを繰り広げていたのではなかったのだなと。それで、なにかモヤモヤと感じるものがあったのだなと懐かしく思い出したわけです。英語については文句なく感謝しておりますが(塾の先生ならそれで十分かもしれません)。

 

違和感というのは、とても大切な感覚だと思います。そこに具体的に立ち上がってはこない内に潜むものを敏感に感じ取っているわけですから、ないがしろにしたりせず大切にしたほうがいいようです。その時に違和感の正体が掴めなくても、ずっと後になって、内に潜むものを感じ取ることが出来る、そういうものが自分に備わっていたことが分かります。

 

言葉のやり取りにおいて我々は、受信側にも発信側になりますが、発信側としても、その言葉の内に潜むとんでもないものがないか、ということに気をつけなければいけません。無意識に人を傷つける言葉を投げていないか、そこを確認することが大事です。

 

そこに自覚的でいる唯一の方法は、瞑想だと思います。

「自家中毒」というのがありますけど、心というのもまったく自家中毒的で、無自覚に心に起こるありとあらゆることで自分を具合悪くしている。これは迷惑なことに他人をも巻き込みます。

 

これを解消するには自覚的でいるしかないですが、その方法が瞑想、と、いうわけです。