平静の祈り/変えるべきことについて

THE SERENITY PRAYER

O GOD, GIVE US

SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,

COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,

AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM

THE OTHER

 

神よ 

変えることのできないことを 受けいれるだけの平静さをお与えください

変えるべきことを 変えるだけの勇気をお与えください

そして それらを見分けるための智慧をお与えください

 


 

ニーバーによる「平静の祈り」、アルコール依存症の克服に採用されたことで広く知られるようになりました。

今日は、この祈りの中にある「変えるべきこと」についてお話しします。

 

私たちはだれでも、どうしても変えることのできない強烈な心の癖のようなものを持っていて、仏教では習気(じっけ)、ティク・ナット・ハンはhabit energy(習慣のエネルギー)と呼びます。

簡単に、エゴがどうしてもやめようとしない悪癖、と、想像するといいと思います。

たとえば、他人と自分を比べては劣等感を感じてしまうとか、体に悪いとわかっていても食べ過ぎちゃうとか飲み過ぎちゃうとか、自分にとって良くないことなんだけどついやってしまうようなこと。癖なので自覚しづらいですが、他人を想像すればだいぶ分かりやすいです。自信さえ持てばステキなのに、あの人なんであんなに自信がないのだろうというような人、周りによくいるでしょう。

ポイントは、エゴにとってこの悪癖はある意味で心地がいい、ということです。またやっちゃったと反省する自分もいれば、どうしてもやらざるをえない自分もいるでしょう?こういうものを「習気」といいます。

 

 で、変えるべきこととは、これ以外にないです。

 

でも、さっきもいいましたけど、これはエゴにとっては心地のいいことでもあるので、実は変えたくないんですよ。劣等感すらもエゴには心地がいいのです。癖ですから。

しかし、エゴの特徴は求め続けることなので、いつまでたっても満たされることがなく、エゴを肥やし続ける限り満たされないで苦しみ続けることになるわけです。

でも、エゴにはこれをやめることができない。だってエゴにはやっぱり心地がいいわけだから。

エゴには、これを変えることが出来ないということすら、受け入れられません。だから、エゴではないところで、エゴにはこれをやめることができないのだと受け入れなければならない。

一度、このことを覚悟を持って受け入れて、はじめて、エゴを手放すとともに何かを変えることができます。

 

宗教の伝統の中では、このことを「帰依」という呼び方をして、ヨーガでもバクティとして説かれています。何かしら自分(我、あるいはエゴ)を差し出して、「善い」方に向かってゆく行為のことです。

 

 

決意をしたチャーリー・ブラウンに対して、ルーシーがリアルな心境を詳しく吐露してますので、引用。

 

これを変えるには、やはり強い覚悟なり決意が必ず必要です。そのための勇気も。