私とは、という問い

 ヨーガクラスで、何をお伝えしたいのか改めて考えてみると、いつも持て余している悩み多きこの「私」の他に、もう一つ〈私〉がある、ということです。

 

 私とは、この「私」と、もう一つの〈私〉とが、在ります。

 

 この後者の〈私〉が在るとわかると、ところどころ欠けたピースが一気にはまってパズルが完成するような、もっというと、ほぼ暗闇の中を手探りで目の前にあるものをなんとか把握していたところを、パッと明かりが点いて全てがくっきりと見える、というようなことが起こります。ですから「無明(むみょう)」というのは本当に言葉通りだなと。無明とは仏教の基本的な教えですが、「私」しかないという立場から見える世界、と言えます。

 

 と、いうくらい、「私」しかないところから見える世界は、違和感と混乱と不安と苦しさに満ち満ちています。心底思うのですが、違和感をごまかさずにきて本当によかった、苦しさをごまかしきれるだけの器用さを持たずに本当に幸運だったなと。

エックハルト・トールは「ニュー・アース」の中でこう言っています。

 

「苦しみは深みのある人間をつくる。苦しみの原因は形への自分の同一化だが、逆にその苦しみが形との同一化を突き崩す」

 

 苦しさはそれを超えるための重要な入り口です。ここを誤摩化してしまうといつまでも誤摩化し続けることになりますよ、それこそ、いつまでも!

 

 

 さて、〈私〉から世界を見ると何が起こるかと言うと、「私」のいた世界が思い込みだったということです。そうすると、大抵のことが問題ではなくなってゆきます。私が皆さんにお伝えしたいのは、このことです。

これは、世界がかわるできごとです。世界が変わるとは、自分が変わることにほかならない、「私」から〈私〉へのシフト。

そして、この転換は、そんなに難しいものではありません。

とてつもなく難しい面もあるのですが、あるレベルでは、比較的容易にシフト可能です。

 

 

 やはりこのふたつの[私]を、象徴的に、右脳と左脳という物理的に分かれているものとして説明したのが、ジル・ボルト・テイラー博士ですが、ご自分の体験を話された動画(パワフルな洞察の発作)がありますのでどうぞご覧になってみて下さい。左脳に梗塞を起こし、〈頭の中のおしゃべり〉が完全に途絶えた時、そこで現れた世界について語っています。

 

 

 ところで、池田晶子さんは「14歳からの哲学」の中でこうも言っています。

 

「もし脳が自分であるとして、この脳が自分であると、どうしてわかるのだろうか。その脳が自分であるとわかるためには、先に、自分が自分であるとわかっていなければならないはずじゃないだろうか」

 

 さて、自分であるとは、いったいどういうことでしょうか。

 

 この問いが、始まりですね。