前世について2

 

前世があるかないかというのは、この際問題ではなくて、言い方を変えるだけかも知れませんが「生き続けるか、生き続けないか」という、ここに対する直観が重要ではないかと思います。


Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever. 

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。


これはマハトマ・ガンディーの言葉ですが、後半の「永遠に生きるかのように学べ」という文句に強い共感を覚えます。やはり、この手触りなんですよ。

善く生きる、あるいは、情熱を持って生きる、この世界を愛する、その所以とは。

その核にあるものが「生き続ける」ということに他ならないのではないかと思うわけです。

 

哲学者の池田晶子さんはこんな言い方をします。

 

どうせ死んでしまうのに

この半端な腹のくくり方が、いかに魂を堕落させることか。

(『残酷人生論』より)

 

『死後』もしくは『来世』の観念の有無で、人の幸福感は劇的に転換するのである。
(『あたりまえなことばかり』より)

 

生き続ける精神がはっきりと見えていた池田さんは、いろんなところで前世やら輪廻を思わせることを書いていますが、さすがにこういうことは相手を見てから話すのだそうです(笑)

 

生き続けるかどうか、実際にはわかりませんが、「魂の完成形としての「神」もしくは「善」が明らかに見えている限り、人生が今回限りであるにせよ、それは徒労で終わったことにはならないからである」と池田さんも言うように、一人ひとりの「神」もしくは「善」とのご縁、あるいは準備の出来があまりにレパートリーに富んでいるのは見ての通りです。人によっては「これ以前」に相当の準備をしてきたのだろうとしか思えない場合(まさに池田さんなど)もあります。そうであれば、どうせ死んでしまうのに、などという生き方は出来るわけがないはずです。

 

 

だって、生き続けるかもしれないわけですから、そして引き継がれてゆくものが確実にあるわけですから。