ヨーガのセッションでは開始時と終了時にマントラを唱えますが、その最も短くシンプルなものが0Mです。
「オウム」と呼びますが、実際には「オーウーン」と発音します。
マントラとは、真言のことです。
マントラは、何度も繰り返し唱えることによって思考や感情を鎮めることを狙います。その時にネガティブな言葉では鎮まるものも静まらないので、よい言葉、神聖な言葉を唱えます。
その、最も短い、万物の始まりから終わりまでを意味するマントラが、聖音OMである、ということです。
しかしこのマントラ、日本においては大きな差別を受けてきました。いうまでもなく95年に起きた地下鉄の事件による影響です。
マントラのみならず、市民会館などは軒並みヨーガサークルの施設利用を断り、ヨーガ教室は生徒数が激減したといいます。ヨーガそのものが世間から白い目で見られる時代が続きました。
ヨーガはこの時に、マントラや瞑想など宗教を匂わせるものを全て諦めて、体操に専念するという形をとり、なんとか生き残ってきた事情があります。数年前に大きなムーブメントとして起きてきたマインドフルネス瞑想が、巷のヨーガスタジオでも開催されるようになってきた現在、時代が変わりつつあるのは確かですが、まだ、宗教に対する偏見が脈々と生き続けているのも事実です。
そして先日、23年の時間を経て、ついに刑が執行されましたが、私も少なからずショックを受けました。
実は、一部の理解のあるクラスでは以前からオウムを唱えてましたが、全てのクラスでもつい先頃からマントラを唱えるようにしていました。これは皆さんだけでなく、私自身の自己規制をも払拭するのが狙いだったのですが、この日はさすがに唱えることはできませんでした。
ところで、勿論のことですが、日本を一歩出れば、OMはヨーガにおいて最も大切なマントラにすぎません。それはカルトを思い起こさせるものでも怪しいものでも不快に感じるべきものでもありません。
そして、これはマントラに限ったことではなく、この国で生きる我々は「宗教そのもの」に対して不信感を持っています。
このあたりをどう整理してゆくか、引き続き考えて行きます。