宗教について

宗教という言葉に、日本人の大半はネガティブな感情を持っているようです。
このことはヨーガを仕事にしてきて幾度となく感じてきたことですが、まずヨーガは宗教にあらずして科学であると再三教えられてきましたしヨーガクラスの会場のことごとくからは宗教色を出してくれるなと釘を刺されるしで、ヨーガとはよっぽど宗教と受け取られてはマズイものだということをよくよく学ばされました。なぜマズイかというと、ヨーガは宗教に違いないからですが、そう言ってしまうと間違いなく人々に嫌われるから、ヨーガはその素性を宗教ではないと偽った、というのが真相です。なにより、私自身も宗教に対してネガティブなものを持っていました。
ヨーガにおいてはオウムの事件から大きな被害を受けています。オウムはそもそもヨーガクラスとしてスタートしました。麻原という人は私と同じヨーガ教師でした。サリン事件で日本から宗教(と宗教への信頼)が完全に失われてしまうと、ヨーガにとって生き残る術は、宗教色を完全になくして健康体操と化すことでした。ですから、ヨーガが自らを宗教ではなく科学であると称するのも無理からぬことなのです。
昨今は自殺数がどうとか、引きこもりがどうとか、虐待がどうとかと、今の時代はどうかしているという人がいます。私自身今の時代の人間であり、たしかに何か生きずらさは感じてきましたが、それが時代のせいかといわれると、ではこの時代とはどういう時代なのかということになります。私の瞑想の師である山下良道先生は、この時代の若者の元気のなさは、先の大戦(と、そしてもちろんオウム)により、日本から最も大切なものが失われたからだと言います。もちろん大切なものとは宗教のことですが、そう言われると、この時代をとりまく雰囲気に納得がゆきます。今この時代のなんともいえず殺伐とした日本には、実質的には宗教は存在しないということです。もちろんお寺はそこかしこにあるし、われわれはいずれかの仏教の宗派に属していはいますが、日本の仏教は宗教ではない、というのが日本人の本音です。では、宗教とはなに、と尋ねると、普通は、アブナイもの、アヤシイものとの答えが返ってきて、その中に仏教は入っていないのです。
このように、現在の日本人はほとんどが宗教を嫌っているわけですが、ではそれらの人々が宗教とはなにかという問いに正しく答えることもできないのです。このズレを、われわれは学ばなければならないのですが、そのあたり非常に簡潔にまとめたエックハルト・トールの『ニュー・アース』より以下に抜粋します。
人類にとって最大の成果は芸術作品でも科学でも技術でもなく、自らの機能不全、狂気の認識だ。たぶんこの機能不全を最初に絶対的な明晰さで見抜いたのは、ゴータマ・シッダルタである。…
もちろん自らの狂気を認識することは正気の台頭であり、治癒と変容の始まりである。
少数ではあるが、同時代人にかたりかけた人たちがいた。彼らは罪について、苦しみについて、妄想について語った。
この人たちは人類の目覚めに必要不可欠だったが、世界の側の準備はまだできていなかった。だからたいていは同時代人に、そして後世の人々にも誤解された。彼らの教えはシンプルで力強かったが、歪められ、間違って解釈され、場合によっては弟子たちに誤って記録された。何世紀かが過ぎるあいだ、本来の教えとは何の関係もない、それどころか基本的な誤解を反映する多くのことが付け加えられていった。
人類の精神の機能不全を克服する道、集団的狂気から脱出する方法を示した教えは歪められ、それ自体が狂気の一部となった。
最近ではスリランカで、狂気となった宗教によるテロが起きたのを、私たちはテレビで見て知っています。このようにして、ヨーガはその発祥の地であるインドにおいても科学を自称するという現状にいたりました。しかしエックハルト・トールの言うように、宗教はそもそもその人間の狂気をこそ克服する方法であったはずであり、これ以上に大切なものはないはずです。
さて、妄想について語ったのは、ヨーガのルーツであるヒンズー教の祖師です。ヨーガのもっとも重要なものを、宗教抜きに捉えることなど、到底不可能なのです。
宗教を捉え直す時代に入ってきたと感じられてなりません。